金を稼いだ時の満足度が違う
どうも、shibaです。
この前、僕の手に給料が入り込んできた。
しかし、どういうわけか俺はあまり嬉しいという感情が芽生えなかった。
数年前、それこそ高校生の頃。俺は郵便局で年末限定のアルバイトをしていた。
たった数週間だけだったから、大した金額はもらえなかったけど、そのとき稼いだお金は今でも子供用デスクの中に保存してある。
だが今は違う。今回稼いだ金は俺の心を響かせることはなかった。
その理由となるかもしれないものを探ってみた。
一つ目。
金を使う目的が限られている。
俺は莫大な借金を抱えている。それは自分が怠惰だった結果ではあるが、今はそれはどうだっていい。
先ず、最初に奨学金返済用の金を一部、確保した。
次に水道光熱費、食事代、家賃など生活に必要な物を買う金が必要だ。
さらに車や将来払う税金の事も考えなければならない。
さらに、さらに、身だしなみもある程度揃える必要だってある。
(無論、ブランド物は買わない)
そう言った諸々の金を差し引いた金が自分の手元に入ってくるわけだが、どうも納得がいかない。
自由に使えると言えど、莫大な借金はある。
自由に使えると言えど、金額は少ない。
じゃあどうしろと。
結局のところ、自由に使える金額は高校生の時よりも少ないということが判明した。
二つ目
心が満たされていないから。
高校生の時は直ぐ近くに何でも話せる仲間がいた。
職場での不満を明日にはぶつけることができた。
しかし、今は遠く離れた場所にいる。
もちろん、ラインなどを用いれば通話やチャットを行うことが可能だが、実際に合わないと話せないことだってある。
(これは俺が「新しい」に取り残された人間だからだろうか?)
穴が開いたバケツに水を入れる行為と同じように、幸せがどこからか漏れ出している可能性があると俺は考えた。
取り敢えず、以上の二つを挙げてみた。
どうだろう。この中に答えはあるのだろうか。
俺は自慢じゃないが、大学生時代に一円たりとも稼いだことはなかった。
だから、金が入るというのは久しぶりに得た感覚で本来ならばもっと高揚しなければいけない事象だ。
だけど、そんなことはなった。
ただ、生きるために必要な道具でしかないのだ。
この事実に俺は衝撃が走った。
同時に怖さと悔しさを感じた。
ただでさえ気分が上がることが少ないのに、働く目的である金を得た時にでさえ何も感じないのならロボットと同じだ。
もう少しだけ働けば何かが変わるのだろうか。
誰かパートナーができれば金に対する見方が代わるのだろうか。
(悪い女に引っ掛からないように気を付けたい)
明日の朝飯だって分からないのに、こんなことを考えたってしょうがない気もするが、明日からの仕事も頑張ろうと思う。
(だってお金は大切。それくらい知ってる)
何かを変えるために。幸せを手に入れるために。絶望から逃れるために。